Acquisition of Robert Mondavi Winery

95&2001 ヴィンテージの
テイスティング

2004年の12月、コンステレーション社がロバート・モンダヴィ・ワイナリーを買収したニュースが世間を驚かせた。オーパス・ワンはどうなるのだろう…。この思いが脳裏をよぎったのは私だけではなかっただろう。真実を探るために、オーパス・ワンのドアをたたいた。

今回のことで変化はあったが、オーパス・ワンへのネガティヴな影響はないとスタッフは口を揃える。見渡せば顔見知りのスタッフは全員ワイナリーで働いていた。
そこには「オーパス・ワン」は、あくまでロバート・モンダヴィ・ワイナリーとシャトー・ムートンとのジョイント企業であり、ロバート・モンダヴィの傘下ではない。別会社であるというスタンスで独立性を高めるべく内部改革を進めてきたという背景がある。

Baroness Phillipine de Rothchild of Cheateau Mouton Rothchild と Constellation Brands の CFO、Robert Sands による折衝は2004年12月以降合意に至るまで数ヶ月に及んだ。

運営方針の骨組みは下記のとおりである。両社による50:50のジョイントオーナーシップを確立し、畑管理、販売促進、運営の3本柱がオーパス・ワンにゆだねられた。特筆すべきは販売ルートには大きな変化がもたらされたことだろう。ロバート・モンダヴィ・ワイナリーの営業が担当してきた米国50州ならびに世界65ヶ国に広がるセールスのうち、米国以外での販売はボルドーのネゴシアン17社が担うことになったのである。日本も例外ではない。カリフォルニアワインをボルドーのネゴシアンが販売するのは業界初の試みとなる。さらに後述するマイケル・シラッチが、2004年の方向転換を境いに栽培と醸造の全権を任されることになった。

Michael Silacci; Wine Maker

畑にたたずむマイケル・シラッチ氏

2001年、かつてボルドー1級シャトーをおさえて勝利した経緯をもつ「スタッグス・リープ・ワイン・セラーズ」のワインメーカーだったマイケル・シラッチを迎えたことも、ひとつのステップであった。そしてこの一歩はオーパス・ワンにとって、とてつもなく大きな飛躍につながるはずだ。

樹勢の強さを上空から観察したり、夏にはフランスからやってくるインターンを受け入れるといった小さな変革から、非常に思い切った改革を敢行する決断力を持つワインメーカーの存在は大きい。

マイケルが心を砕くのは、苦楽を共にする仲間の連帯感と心意気である。剪定、収穫、果実の選別、セラーワーク…。どのステップも気を抜くことのできない大切な行程だ。こういった汗まみれでこなさなければならない作業は、出稼ぎも含めたメキシカンがまかなうことが多い。彼はこの働き手たちをかけがえのない仲間のひとりとして手厚く迎える。部下の見本となるよう誰よりも早くワイナリーにやって来る。「雇う」のではなく、あくまで一緒にワインを「造る」というスタンスだ。

「どんなワインの造りに関わるのか知ったうえでプライドを持って任務にあたってほしい」との願いから、オーパス・ワンのプロモーションヴィデオを見せる。ワインを実際に試飲させる。マイケルも彼らの輪に入りランチをとり夜食をほおばる。ワインメーカーを心から尊敬し信頼し自らの使命を認識すれば、意思の疎通もスムーズに図れるというものだ。「作業効率があがる」という通り一遍の言葉を超える結果がフルーツに反映されていく。

Challenges for The Change

連帯感と責任感を強めるため、そして安定した暮らしの中で仕事に集中できるよう、マイケルはメキシカンワーカー27人全員を正社員として迎え入れた。こんなふうにメキシカンスタッフを手厚く遇するワイナリー、そしてワインメーカーがいったいどれくらい存在するだろうか。勤続年数の長いスタッフが増えるメリットは計り知れない。作業中に不測の事態にみまわれたとしても過去の経験を身体が覚えている。記憶が判断を助けてくれる。スタッフひとりひとりがベストな状態で、効率良くフルーツを扱うことにつながる。すべての情熱と行動は、たったひとつのワインを造るために存在する。
【OPUS ONE】これまで以上のクオリティが期待できそうだ。

– Tasting Notes –
1995:フレッシュ感を好むファンには今がピークの飲み頃。果実味を感じさせながらもおさえのきいた上品さにあふれる。トリュフ香やミントのノーズが突出する比類なきバランスと長い余韻が印象的。
2001:現行ヴィンテージとは思えないほどアプローチアブル。ヴァニラやチョコレート、プラム、カシス、ベリー香が渾然一体となったフレーヴァーは驚愕に値する。

※リポート内容は取材当時のものとなります

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