Harlan Estate
メディアの露出度が高い現ワイナリー。ゲストハウスにもダイニングにもなる広い空間が広がります。
丘の頂上に小さく見えるのが現在建設中のワイナリー。現ワイナリーの前から撮影。
完成次第ハーラン・エステートはこちらに移る予定。
Prologue
90年が初ヴィンテージながら、94、97年とパーカーから満点を献上され、カリフォルニア・カルトワインの筆頭に挙げられるようになったハーラン。「REAL ESTATE=不動産」で財をなしたウィリアム・ハーランが、今はまだ10代の子供たちのためにメッセージをこめて立ちあげたワイナリーです。「HARD WORKが勝ち得るものの姿」「頑張れば事を成すことはできるんだ」ファミリーの鑑(かがみ)として位置づけられたこのワイナリーは、ハーラン家にとり、そしてカリフォルニアワイン界にとっても象徴的なものになりました。
1966年ロバート・モンダヴィ・ワイナリーのオープニングに訪れ触発されたビル・ハーランは、リソースとヴィジョンそして優れた決断力があれば自分にもワイナリー経営ができると確信しました。前述のとおり、不動産業で成功をおさめているビルは「LAND」=土地・土壌が大切なファクターだと骨身にしみて理解しています。「CAPTURE THE RIGHT PIECE OF LAND」を成功の鍵として現在所有しているエステートを取得、スタートはわずか20エーカーでした。今では240エーカーに点在し広がるハーラン・エステートの畑の植樹面積は、ベストエリアの35エーカーにとどまっています。大きくわけて8割がカベルネ・ソーヴィニヨン、残りの2割(7エーカー)がメルローといったところ。85、86年と2年にわたり植樹していった果実が、名実ともに実を結んだのが90年の初ヴィンテージとなったわけです。このヴィンテージはメーリング・リストの顧客だけに割り当てられ、実際にマーケットに出したのは91年のヴィンテージから。
かつて「Rombauer ロンバワー」や「Merryvale メリーヴェル」でワイン造りをしていたワインメーカーのボブ・レヴィー(本名はロバート・レヴィー)は、ここで知り合ったジェット・セッター・コンサルタント「ミシェル・ロラン」に89年から年2回のコンサルティングを依頼しています。
すべてがビルの理想とするヴィジョンにのっとり、ボルドー・スタイルを貫くハーラン・エステート。通常のセパージュは80%がカベルネ、そして残りの20%をフラン、メルロー、プティ・ヴェルドーが占めていますが、初リリースの90年はなんとほとんどがメルロー、そして98年はカベルネ100%です。
Vineyard and Wine making
ファー・ニエンテの畑を眼下に見下ろしながら馬の蹄鉄状に囲むヒルサイド。お向かいにはハイツのマーサズ・ヴィンヤード、そしてお隣にはあのデーヴィッド・エーブリューが管理するVIVAのイチオシ銘柄「オークフォード」(ワインメーカーはハイジ・バレット)。目のつけどころが違うワイナリーの畑が集まる一帯です。
「急勾配な斜面」というイメージが強いハーランですが、四駆で行かないとのぼれないような山道の果てにある、ということはありません。南東に面した畑(ここの最大斜度はなんと30度)のテッペンに行くのなら別ですが、TVや誌面でおなじみのワイナリーがある所までは、普通の後輪駆動の車でだってラクラク行けます。
ロッキーで粘土質の土壌は想像以上に水はけが良くまるでスポンジのよう。この斜度のおかげで霜の心配もしなくてすむし、マウンテン・ハイト(山の高さ)ではないので霧の影響もなく(余分な湿度でカビが繁殖する心配が少ない)フルーツにとってパーフェクトな畑といえるでしょう。エステートで立身したビルが、心をくだいて探し回った甲斐があったというものです。
カリフォルニアでは、ブティックワイナリーのほとんどが1エーカーあたり2~2.5トン前後に収量をおさえていますが、ハーランもしかり。とくに90年代ベストヴィンテージとうたわれた97年は、英語で言うところの「BIG」「POWERFUL」「SHOWY」の単語が連なる重厚なワインになりました。ちまたではパーカーが満点を献上した94年、97年が破格の値段で取引されていますが、ねらい目は95年。だまされたと思って焦点しぼってください。もし値段に開きがあれば、迷わず95年を選んで大正解の二重丸です!そしてフランスほど優劣の差がないカリフォルニアが泣かされた98年。エル・ニーニョの影響でクールな夏、温度があがらず判断を誤った蔵、ここぞとばかりに実力を見せつけたワイナリーと悲喜こもごもだったのは記憶に新しい所です。
通常なら7月には色が変化するフルーツが、98年は9月の声を聞きようやくカラーチェンジを見せました。ここハーランでは、利益率にシヴィアな一般のワイナリーだったらとてもできない!ことをやってのけていたのでした。通常1エーカーあたり2トン前後の収穫をする畑で惜しげもなく間引きを敢行。1シュートに1クラスター(1枝に1房)以下、その収量を0.9トンまで落としたのです。通常の1,500~1,800ケースから、一気に725ケースまで生産量が減少しました。ワイナリーにとって、葡萄を地面にはさみをいれて落とすということは金貨をばらまくに等しい行為です。これが「世界のハーラン」といわれるワイナリーの真摯な姿勢でしょう。厳しい年でもヴィンテージとしてのキャラクターは別として、ワイナリーの持つ一貫したアイデンティティを失うことなくボトルにつめこむ情熱は、飲む人のハートをぐっとつかみます。飲めば必ず伝わります、どんな思いで造られたワインなのか。まさしく「DEDICATION」の真の姿といえましょう。
さぁ、このハーラン・エステートのワインがこれまでやってきた戦略、そしてこれからのヴィジョン。「将来の展望と市場動向」は下欄を読む
Future and Market
1)フルーツの重みだけで流れ出る果汁をフリーラン。
2)プレスマシーンを使って圧搾することをプレス。というのはご存知だと思います。
2)の圧搾をする時、上からギューッとつぶすのではなく、最近のやり方は細長い気球船のような形をしたタンクの中(平たく言えば、タンクローリーが積んでいるタンクのようなもの)に果実を入れた後、内部に設置された空気圧で風船のようにふくらむバルーンが静かに果実を圧迫していくというスタイルが主流です。
ハーランのワインはプレスをしません。すべてフリーランジュース。これまたコストを考えるとなかなかできることではないのです。高級ワインに使われる手法で、すべてフリーランにするとパンチが足りなくなるというのがワインメーカーの信じる鉄則ではありますが、それでもハーランは「オールフリーラン」にこだわります。もっとも、あれだけ濃厚な仕上がりになるのですから、結果を出していると言えましょう。
畑の扱いといい造りといい、ワイン造りは道楽なのか?と首をかしげる人もいるほど、コスト削減など意に介さないように見えるこのワイナリー。ビル・ハーランがリッチだから湯水のようにお金を使いまくっているのでしょうか?
はたして金策は別にありました。フューチャー=FUTURE 仏語でプリムール、を模したスタイルを続けていたのです。長-いウエイティングリストに加え、妄信的&熱烈なファンを持つワイナリーだけがなしえる信用買いシステムといえましょう。瓶詰めする前に送料まで含めた全額を集金し、そのファンドをさらなる向上を求めて畑や造りに費やす…というサイクルで運営しているのでした。
2002年秋。たとえば今年晴れてあなたの名前が正式なリストに載り、案内が来たとします。もちろん買える本数を指定するのはハーラン。支えてきた年数に比例した割り当てが行使されるのですから、あなたはおずおずとリクエストをするのみ。オーダーをすると、ほどなくクレジットカードに本数分+送料を加えた金額がチャージされ請求が来るわけですが、なんと手元に憧れのハーランが蔵出しで届くのは2004年の春!セカンドラベルの「ザ・メイデン THE MAIDEN」の扱いもまったく同じです。ちなみにメイデンとはイタリア語で若い女性を意味します。こうして幸運なメーリング・リストに名を連ねるファンたちは、恋しいワインを辛抱強く待ち続ける日々を過ごすのであります。
現在22カ国に輸出されているハーラン。イタリーには出してないとは驚きでしたが、欧州では英・独・仏・蘭・スイス、スエーデン、デンマーク…と市場を広げています。カリフォルニアではどのワイナリーでもイギリスへの進出はトップ・プライオリティでありますが、ブリティッシュはまろやかさが好みのお国柄。「ソフト」「しなやか」「長期熟成」が大切なファクターとなるこの市場では、今91年を売り出し中とか。ワイン商が倉庫に抱えて寝かせておくのだそうです。こういう商売ができるカルチャー、あっぱれというべきでしょう。狙い目はロンドンの熱いマーケット。
アジア圏では我が国の他、タイやシンガポールで購入可能とのことです。日本へのデヴューは96年ヴィンテージでありました。初めてのシップメントはわずか10ケース=120本。未だ需要に追いつかず市場価格は高嶺(値)の花ですが、ダンいわく日本への輸出量は特別に増えているとのこと。
現状に甘んじることなく新たなプロジェクトに意欲を見せるハーラン。思いがけないプランをひっさげて世をあっと言わせることもあるやもしれません。期待に胸をふくらませ、是非ともお手並み拝見としゃれこみましょう。(本家が発表する前にVIVAが話していいことでもないので、この件に関する質問は堪忍してください…)
最後にダンから日本のファンへのメッセージお届けします。「BE PATIENT WITH US」気長に待っててね!
※リポート内容は取材当時のものとなります