Karl Lawrence
Vineyards: Herb Lamb, Morisoli, To-Kalon, Crane
初めて口にした時の感動が色褪せることなく胸に残るワインは、そう多くない。今もその驚きが胸に刻まれるカール・ロウレンスの類まれなる品質は、ワインメーカーの腕や才能に加え、そのフルーツソースの出自の良さにも起因している。
コルギンとカール・ロウレンスのみが契約している畑の名は、ハウエル・マウンテンヒルサイドに位置する「ハーブ・ラム」。畑の特徴は卓越した凝縮感にある。ラザフォードのヴァレーフロアに広がる「モリソリ」からは、カベルネ特有の豊かなアロマとフレーヴァーに支えられたシルキーなマウスフィール、丸みのある芳醇さが身上のフルーツがくる。
さらにナパでは知らぬ者のないベクストファーの「トーカロン」そしてDr. クレイン所有の「クレイン」。これら4ヶ所に散在するいずれ劣らぬ優良畑のフルーツをすべて手に入れることができるワインメーカーは稀有な存在といえよう。マイクの人徳のみならず、その腕を高く買われていることを実証している。設立から7年間はハーブ・ラムとモリソリ畑のフルーツをすべてブレンドしていた。グレイトイヤーといわれた97年に初めての単一畑リザーヴをリリース。以降、リザーヴの条件を満たしたヴィンテージのみ単一畑を造るようになる。近々単一畑4種類を「リザーヴシリーズ」として出す予定という、ファンにとって嬉しいニュースが舞い込んだ。
Karl and Lawrence
ナパで生まれたブライアン・ロウレンス・ヘンリーは、地元の大学でバイオロジーを学んだ後医学生となり、1986年から産婦人科のクリニックを開業。後にヴィンヤードを所有するに至りワイン造りを目指すようになる。しかし、いったいどうしていいものか考えあぐねていた。
一方、コロラド大学の学生だったマイケル・カール・トルヒロは人生の分岐点となった1982年の春休み、ナパ・ヴァレーに友人を訪ねがてら遊びに来た。友人は折りしも畑の植え替えと『セコイヤ・グローヴ・ワイナリー』建設のただなかにいた。「よーし、手をかしてやるか。」ほんの2~3日のつもりだった滞在は数週間に及んだ。この時の経験がナパへの再訪をうながし、やがてワインメーキングを志すまでとなる。後に自分の名を冠したワインを造ることなど思いもよらぬうちに、彼のキャリアが始まったのである。
UCデイヴィスやナパ・ヴァレー・カレッジで学ぶかたわら、ナパの地において黎明期の道筋をつけたといわれるアンドレ・チェリチェフと親しく働く機会にも恵まれ、その才能を開花させていく。
Get Started
狭いナパでは知らない人間のほうが少ない。果たしてマイケルとブライアンは当然のように出会い、そして意気投合した。気の合うバディと共に夢を語りあう。どこにでも転がっている話だが、実現することの難しさは挑んだ者にしかわからないだろう。マイケル・カール・トルヒロとブライアン・ロウレンス・ヘンリーのアメリカン・ドリームは、理想を体言した自分達のワインを造ることだった。語りあった夢をかなえようと動き出したふたりは、各々のミドルネームを用いてワイナリー名としたのである。1991年「カール・ロウレンス」が産声をあげた。こんにち、マイクはカール・ロウレンスとセコイヤ・グローヴ・ワイナリーの醸造を担っている。
Sequoia Grove
余談だが、2002年からセコイヤ・グローヴの取締役社長に就任したマイケルが最初に着手したことは、ワインのクオリティをあげることだった。それまでの利益重視で樽香の強かった路線を大幅に改革した。ワインメーカーがトップに来たのだから当然といえよう。このヴィンテージから顕著に向上したカベルネやシャルドネーは、ワインメーカーたちの間でも評判になっている。
エド・カーツマンに至っては「最近飲んだこのカテゴリーのワインではピカイチだ。」と言い切ったものだ。おさえた価格帯のワインでも、ここまでクオリティを引き上げることが可能だということを実践してみせたマイケルの情熱と手腕に誰もが脱帽した。
Straight Forward
「途中の苦労話なんて話す必要はないよ。テーブルに上ったワインが喜んで飲んでもらえれば、それだけで十分だ」。マイケルのポリシーは、シンプルにして本質を究めている。問えば当意即妙な答えが返ってくるが、自分からは多くを語らない。自分の信念はすべて造りに反映させている自負があればこその穏やかな姿勢は好もしい。心のひだに深く残るワインである。
※リポート内容は取材当時のものとなります