ピータ・マイケルのジェネラル・マネージャー=
ビル・ヴェニエロ&グレイスファミリーのオーナー=ディック・グレイス at PMW テイスティングルームにて

米国のワイン界を常に牽引する大役を担うピーター・マイケル・ワイナリー。
VIVAがまだ販売をしていた頃、紹介すると瞬く間にSOLD OUTとなる筆頭銘柄でした。
エチケットはカリフォルニア州花であるポピー。畑が広がる敷地内、ことにマウンテンサイドに咲き乱れます。

ベル・コート
ラ・キャリエア
マ・ベル・フィユ
=Daughter in law
義理の娘の意※1

Prologue

ついにヴェールをぬいだ憧れのピーター・マイケル・ワイナリー
以後次のように表記します
●ピーター・マイケル・ワイナリー = PMW
●サー・ピーター・マイケル = SPM

今回ナパでの滞在中、ずっとセント・ヘレナにあるグレイス・ファミリーのゲストハウスにお世話になっていました。セント・ヘレナからPMWのあるソノマのナイツ・ヴァレーまでは、29号線からカリストガを境に129号線に変わる国道を北上して30分足らず。

「I WILL GIVE YOU A RIDE.=僕が運転してあげるよ」。取材に訪れる朝、ディックはカフェラテを飲みながら事もなげに言いました。「そ、それは…ありがとう」道がよくわからなかったのでありがたいオファーではあったけど、はたして運転なんてしてもらっちゃっていいのだろうか…。考える間もなくあわてて電話にとびつき、PMWのGM=ビル・ヴェニエロのナンバーをダイヤルします。そりゃビルだってビックリするでしょう。日本から取材に来たいと言っていた女性が、ディックの運転するツーシーターのメルセデス500でいきなり登場したら。ビルのヴォイスレコーダーに「ふたりで行く」という伝言を残し、とにかく車に乗り込みます。運転手つき!の突撃リポート、いったいどうなることやら…。まぶしい陽射しを見上げながらウキウキする心で一路PMWへ!かくして『11年もの長きに渡りPMWを支えてきたGM=ビル・ヴェニエロ、そしてグレイス・ファミリーのオーナー=ディック・グレイスが、PMWのテイスティング・ルームでル・パーヴォやベル・コートのボトルを前にニッコリ』という世にも珍しいツーショットが誕生したのでありました。

Profile of Sir Peter Michael

SMP。1938年にロンドンに生をうけた御前は、51年後の89年に政府への貢献とビジネスの業績をたたえられ、エリザベス女王から「SIR」の称号を授与されました。夫が「SIR」と呼ばれるようになると、妻は自動的に「LADY MAICHAEL」。レディと呼ばれるようになります。

ハイテク産業界で成功を手中におさめたSPMの足がかりは、コンピュータでTVグラフィックを描くデジタル装置を開発したことでした。20年前の話です。92年にはFMクラシックのラジオ・ステーションをたちあげ米国にも進出、今では世界最大規模の商業ステーションへと成長をとげています。近年ロンドンにオープンさせたレストランは、あっという間にミシュランひとつ星を獲得。ニューオープンのお店が星を獲得し話題となりました。ワイナリーのオーナーになる前から、そして今もこよなく音楽を愛する才たけたビジネスマン、それが人々の持つ彼のイメージです。

ベル・コート畑 手前は貯水池

SIRの称号を授与された89年、カリストガ地区のナイツ・ヴァレーにPMWは産声をあげました。もともとはリトリート(隠れ家)のためのヴァケーションハウスとして用意した600エーカーの広大な土地です。「人生を国際ビジネスマンとして走り続けた者なら、土(いじり)にかえりたいと思うのは人間として当然の感情だと思うんだ」こういう気持ちを持つようになった背景には、英国で牧場や麦畑を営んでいた妻であるマギーの影響があったといいます。

さまざまな事業を展開してきたSPMですが、このワイナリーだけが唯一彼のファミリーネームを冠したもの。「世界に通用するカリフォルニアワインを!」を目標にかかげ邁進してきました。87年のファースト・ヴィンテージから早15年の月日が流れ、その思いは本懐をとげ、今や真のワインコノシュアーたちが心から畏敬の念を抱く見事なワインを造るにいたりました。もちろんスペクテーターの格付けでも五つ星ですが、そんな星の数では表現できない、飲んだ者だけが知りえる魂をゆさぶるワインです。

Wines

ロッキーで水はけの良いソイル

ボトルのバックラベルに書かれているシンプルなフレーズが、このワイナリーのポリシーを簡潔に物語ります。
MOUNTAIN VINEYARDS, CLASSICAL WINEMAKING, LIMITED PRODUCTION
「テロワールを表現することが、すなわちそのワインの特性を最大限に引き出すことにつながる」という信念を貫きとおす。そのための舞台裏の努力と献身は、数多のワイナリーを見続けてきた者が脱帽するほどのひたむきさです。

Properties

約束の時間にワイナリーに到着すると、大きなSUVで迎えてくれたPMWのGM=ビル・ヴェニエロ氏。インタヴューの間に他で用事を済ませて来るとワイナリーを後にしたディック・グレイスの背中を見送りニコッと笑うビル。「まずは畑を見る?」「はい!」カリフォルニアワイン界を常に牽引し続け、スペクテーターは五つ星献上、パーカーに至っては「つねに90ポイント以上の評価のみ、とにかく心酔しきっている」と言われるPMWのワイン造りのルーツ=畑にいよいよ足を踏み入れる瞬間が訪れました。

2004年デヴューする前述
マ・ベル・フィユの畑

SPMが1982年にマウント・セント・ヘレナに面した、ロッキー&ヴォルカニック・リッジに造ったワイナリーから広がる畑に一路向かいます。「ワイナリーから畑に一路向かう」とは大げさな表現と思うことなかれ。広大なプロパティは、なんと600エーカーもあるのです。いろいろな畑に行き慣れているはずの私にさえちょっと想像を絶する広大さです。植樹面積はそのうち100エーカー。畑だけではなく、ひと山全体の自然保護を目指して100年計画を打ち出したSPM。やはり優秀な人材は器が大きい。思慮深さの度合いが違います。自分の死後のことまで考えた畑造りをする人は、そう多くいるはずがありません。

助手席からふと外を見ると、なんとSTREAM=川が流れているではないか。マウント・セント・ヘレナからPMWを通り、ルシアン・リヴァーを経て太平洋に注ぎ込むというこの川には鮭が産卵のためにあがってくるという…。ルシアン・リヴァーなら期限付きでOKだけれど、残念ながらここでの漁は禁止されているとのこと。

ウエザーステーション

行けども行けどもまだ畑にたどり着かない…。標高はみるみる上がり、気温が低くなるのが体感できます。1,000フィート昇る毎に華氏で5-10度も下がると言われる気温。ここでは眼下にあるはずのワイナリーさえもう見えません。通常ヴァレー(平地)よりも2~3週間遅い収穫期を迎えます。もうおわかりですね、ハンギングピリオドがそれだけ長い=フレーヴァーや果実味たっぷりのフルーツが期待できる、ということです。

収穫が終わり黄金色の葉が踊る畑が眼前に広がります。このプロパティのすごいところは、すべての畑が単一畑として区切られていること。「あ!ル・パーヴォだ!」「ここがベル・コート?!」畑の脇に立つシングル・ヴィンヤードのサインを見かけるたびに躍ってしまう心をおさえることができません。長いこと逢えなかった恋人に再会したかのように、胸がぎゅっとしめつけられる感じです。あぁ、こんな所で君たちは育っているのか…。強い風に吹かれ、急勾配の畑を見下ろせば、背後に広がるマウント・セント・ヘレナ。湾のほうから来る風がこの山にあたり、冷涼な気候をキープ。暑いはずのカリストガにあるナイツ・ヴァレーがここまで涼しいのは、この標高と自然の恵みに他なりません。

Neo Classical

上の写真をご覧ください。
その名は「ウエザー・ステーション」。噂に聞けども初めて目にするシロモノです。ワインメーカーのオフィスにあるコンピュータと直結。風速、温度、湿度などの情報を正確に計測し、グラフィックにしたデータを送る優れものです。常に畑の状態をモニターし「霜がおりそう」「明日は雨が降りそう」などの情報を元に、ヴァインの病気まで推測して予防するという「頼りになる強い味方」を駆使したネオ・スタイルの一面。

ハイテクの最先端を行くだけではありません。古式ゆかしい、ワインメーカーのパレットを尊重するのがネオ・クラシカルのアナザーサイドです。下の写真は、セカンド・クロップ=収穫時に手積みされずに残った果実のこと。今、咬んで含めば糖度も高く、あまさ・完熟加減ともにパーフェクトですが、その時はまだワインになるのに準備万端ではなかったことを意味します。

セカンド・クロップ

・収穫時、摘んでも良いフルーツのわかりやすい見分け方、ふたつの留意点
1)「あまい」と感じても種の色を見ること。茶色だったらピックしてもOK。もし種の色がまだ緑色だったら摘んではいけません。
2)果汁の色を観察。フルーツの皮をやぶってあふれてくるジュースがピンク色ならREADY TO BE PICKED. 透明でクリアなかんじだったらNGです。こういう判断は、機械を使った糖度計算や数値だけではとうてい無理。やっぱりワインメーカーやヴィンヤード・マネージャーの確かなパレットが必要不可欠なのです。再三申し上げているように、素晴らしいワインを造るには一にも二にもまず畑から。持っている予算の八割がたを畑にかけるのが常識となりつつある今、畑における仔細な判断は結果に直結する最も大切なファクターです。

マウント・セント・ヘレナ

そして新しい潮流、バイオダイナミックの波(仏語=ヴィオデナミ)。有機栽培をベースにルドルフ・シュタイナーの思想を反映した農法で、フランスの代表的な銘柄ではブルゴーニュ地方のドメーヌ・ルロワなどがこのやり方を取り入れています。バイオダイナミック農法は有機農法の最高峰であり、バイオダイナミック農産物は通常の有機農産物よりも高品質でしかも高い生命力をもっていると認知されていることから、近年カリフォルニアでもこの農法に切り替えつつあるワイナリーが急増。アロウホがすでにとりかかり、奇しくもPMWとグレイス・ファミリーは、時を同じくしてフィリップ・アーミニエーという、フランス人コンサルタントに依頼することになりました。これからどのような変化を見せてくれるのか、非常に興味深いところであります。

Winemaker

テイスティング・ルーム

ナパやソノマでは、ワインメーカーが違うワイナリーをまわるというのはごく一般的に行われていることです。PMWで腕をふるったワインメーカーは4人。
○ 生きる伝説ヘレン・ターリー Helen Turley
○ コルギンに移ったマーク・オベール Mark Aubert
○ マークのアシスタントだったヴァネッサ・ウォング Vanessa Wong
○ 現ワインメーカーはルック・モレ Luc Morlet
※1の写真、ニューフェイス・シャルドネーの名は「マ・ベル・フィユ=Ma Belle-Fille」(Daughter in law 義理の娘の意)ルークが手がけるファースト・リリースは2004年。彼のバックグラウンドは名前からもわかるようにフランスです。シャンパーニュ地方で家族が経営するドメイン「ピエール・モレ・エ・フィス Pierre Morlet et Fils」を手伝いながら育ったマークにとって、醸造責任者になることはごく自然だったといいます。

Cuvee Indigene97
Belle Cote97
Les Pavots99

ルークの経歴がこれまたスゴイ。栽培学の学位をシャンパーニュの産地であるエコール・ヴィティコール・ド・シャンパーニュで、そしてランス大学大学院で醸造学の修士号を修め、ブルゴーニュのディジョン・ビジネス・スクールでワインビジネスのMBAを修了しています。
その後、ボーヌ、メドック、ランスで積んだ豊富なワインメーカーとしての経験=クラシカルなボルドー&ブルゴーニュスタイルを、カリフォルニアの地で踏襲することはまさに鬼に金棒。SPMが願ってやまない理想のミッション=【単一畑 SINGLE VINEYARDS, 小さな山あいの畑からの限られた生産量 LIMITED PRODUCTION BOTTLING from SMALL MOUNTAIN VINEYARDS】というクラシカル・ワインメーキングをリードし続けていくことでしょう。

※リポート内容は取材当時のものとなります

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